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人類とAIの歩み:第一次AIブームとその冬(1970年代)──理想と現実の乖離

著者: 管理者 / 2025-08-16 (更新: 2025-08-16)

第2の転換点

研究者たちの熱狂、社会の期待

1960年代後半、AIは一つの“夢”として世界中に広がり始めていました。コンピュータはすでに数値計算だけでなく、推論やパズル解決、言語翻訳の領域にも踏み込んでいたからです。

「あと10年もすれば、人間と同じように話し、考えるAIが登場する」──そんな楽観的な見通しを、本気で信じていた研究者も少なくありませんでした。

政府や企業からは多額の研究費が投入され、AIは国家戦略にも組み込まれるようになります。特に冷戦下のアメリカでは、翻訳技術や軍事応用への期待が高まり、大学や研究所にはAI研究者の熱気があふれていました。


ルールで世界を理解する──形式主義の限界

当時のAIは、いわゆる「シンボリックAI(記号処理型AI)」が主流でした。これは、人間の知能をロジック(論理)とルールによって表現できると考える立場です。

たとえば、「AならばB」「BならばC」だから「AならばC」といったように、知識を形式的に定義し、それをコンピュータに推論させるのです。

こうした技術で作られたのが、自然言語翻訳や定理証明のプログラムでした。たしかに、ルールが整っていれば驚くほど精巧な処理が可能でした。しかし──それは“整っていれば”の話です。


突きつけられた「現実」という壁

問題は、現実の世界が“整っていない”ということでした。

人間が日常的に行っている判断や言語の理解には、無数の曖昧さや例外が含まれます。例えば、ある単語の意味は文脈に依存し、同じ質問でも相手や状況によって正解が変わる。そうした“空気を読む”ような判断を、ルールで定義することは極めて困難です。

自然言語翻訳のプロジェクトは、その限界を痛感する代表例となりました。直訳はできても、意味が通じない。あるいは、誤訳でとんでもない結果を出してしまう。やがて翻訳プロジェクトは中止され、研究資金も大幅に削減されていきます。


「AIの冬」──夢からの目覚め

1970年代に入ると、AIは急速に注目を失います。ブームの終焉は静かに、しかし確実に訪れました。

この時期は「AIの冬(AI Winter)」と呼ばれ、資金も人材も遠ざかり、多くのプロジェクトが停止に追い込まれました。研究者たちは「AIは詐欺だ」「本質的に不可能だ」と批判されるようになり、学会でさえAIという言葉を避けるようになります。

この冬の時代は、技術的失速というよりも、「期待と現実のギャップ」が引き起こした社会的失望によるものだったと言えます。


それでも、地下で脈打つ希望

しかし、この時期にすべてが止まったわけではありません。むしろ「派手な夢」が打ち砕かれたからこそ、AIは地に足をつけた新たな視点を手に入れました。

知識をルール化する難しさが見えてきた一方で、「経験から学習する」機械学習の萌芽もこの頃から始まりました。また、音声認識や画像処理などの分野でも、基礎的なアルゴリズムの研究が地道に続けられていたのです。

後にAIが再び脚光を浴びるその時、これらの静かな積み重ねが強固な土台となっていきます。


理想の崩壊は、成長の前兆でもあった

第一次AIブームは、言ってみれば「純粋すぎた理想」の時代だったのかもしれません。ルールですべてを定義し、知能を再現できると信じたがゆえに、その限界に早くぶつかってしまった。

しかし、この時代が残した教訓──「現実は想像以上に複雑で、知能の本質は単なる計算では捉えきれない」──は、AIにとって貴重な学びとなりました。

夢が打ち砕かれたからこそ、AIは幻想ではなく“道具”としての価値を見直す段階へと進んでいきます。そして、それはやがて「学習するAI」への流れを生み出すことになります。


技術には“適度な距離感”が必要だ

第一次AIブームの終焉は、私たちにひとつの警告を残しました。それは、「技術に過剰な期待を抱くことは、必ず反動を生む」ということです。

今の時代、生成AIに注目が集まり、再び「AIがすべてを変える」と言われています。しかし、黎明期と第一次ブームが教えてくれるのは、技術には“熱狂”ではなく、“対話”と“検証”が必要だということです。

AIの未来をより良いものにするためには、期待と現実のバランスを冷静に見極める視点が欠かせないのです。