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人類とAIの歩み:黎明期(1950〜1960年代)──「知能とは何か」が問われた時代

著者: 管理者 / 2025-08-16 (更新: 2025-08-16)

機械に“考える”ことはできるのか?

人工知能(AI)の歴史は、1950年に一つの論文が世に出たことで動き出しました。著者は数学者アラン・チューリング。論文のタイトルは『計算機械と知性』。この中で彼は、今もAI研究の根底にある問いを提示しました。

「機械は思考できるか?」

この問いは、単に“計算”ができるかどうかではなく、“知能”や“意識”を持ち得るかという、人間の知性そのものに迫る本質的なものでした。

チューリングは、この問いに対して「チューリングテスト」という方法を提案します。人間と会話して、相手が機械か人間かを見分けられなければ、それは機械が“思考している”とみなせるというものです。シンプルですが、この発想はAIの可能性と限界を考えるうえで、今も有効な枠組みとなっています。


「人工知能」という言葉が生まれた瞬間

その6年後の1956年、アメリカのダートマス大学で行われた研究会が、AIの歴史における記念碑的な出来事となります。ここで初めて、「Artificial Intelligence(人工知能)」という言葉が公式に使われました。

このダートマス会議には、ジョン・マッカーシー、マービン・ミンスキー、クロード・シャノンといった、後のAI界を代表する頭脳が集まりました。彼らは、こう宣言します。

「あらゆる側面の学習や知能は、原理的には機械で記述できると信じている。」

この大胆な主張こそが、AIという分野の出発点であり、いわば「機械に心を持たせる」ことへの第一歩でした。


ルールとロジックで「知能」を再現しようとした時代

この黎明期に開発されたAIは、いわゆる「ルールベース」型。つまり、人間の知識や推論をロジックで表現し、プログラムに組み込む方式でした。

代表的な例が、チェスや迷路問題などのゲームAIです。コンピュータに手順やパターンを教えることで、一定の成果を出すことができました。当時のマスコミは「機械が知能を持った」と騒ぎ、社会の関心も一気に高まりました。

また、自然言語処理の初歩的な試みとして、1950年代には英語とロシア語の翻訳を試みるプロジェクトも始まっています。これもまた、「人間の言語を理解する」というAIの重要テーマの原型です。


だが、現実は甘くなかった

一見すると、AIの可能性は無限に思えました。しかし、まもなく技術的な限界が浮き彫りになります。

最大の課題は、「現実世界の複雑さ」です。人間の知能が扱う問題は、必ずしもルールに従って整理されているわけではありません。曖昧な状況、膨大な選択肢、不完全な情報──これらに対してルールベースのAIは極めて脆弱でした。

たとえば、文法的には正しい翻訳でも意味が通じない。迷路やチェスは解けても、子どもの簡単な質問には答えられない。こうした事例が次々と現れ、「本当に知能を再現できるのか?」という疑念が生まれていきます。


技術よりも「思想」が先行していた時代

それでも、この黎明期はAIの“失敗”の時代ではありません。むしろ、この時期の最大の成果は、「知能を再現するとはどういうことか?」という根本的な問いを社会全体に投げかけたことにあります。

知能とは、ルールを知っていることか。それとも、学習し、応用し、意味を理解する力なのか。コンピュータが人間を模倣するとは、見た目だけでいいのか、それとも内面的なプロセスまで含めるのか。

このような哲学的な問いが、黎明期のAI研究を通じて浮かび上がり、今もなお多くの論争を呼んでいます。現代のAI倫理、意識、創造性といった議論の土台は、この時代に築かれたのです。


AIの未来は、過去の問いから始まっている

チューリングの問いから始まったAIの旅。それは「コンピュータが人間のように考えられるか?」という技術的挑戦であり、同時に「人間とは何か?」を問い直す哲学的冒険でもありました。

1950〜60年代は、計算機科学がまだ未成熟でありながらも、研究者たちが知能の本質に大胆に迫った時代です。そしてその熱量と探究心は、今日のAI開発にも受け継がれています。

黎明期が私たちに教えてくれるのは、未来をつくる技術には、必ず“思想”が伴うということ。技術の進化に目を奪われがちな今だからこそ、もう一度この原点に立ち返る意味は小さくありません。